10年間のお休み
1985年に株式会社フジクラに入社しました。通信関係の仕事をしたかった
のですが、配属されたのは材料関係の研究室でした。最初はアルミニウム
の表面処理で、アルマイトという技術でした。同時に超電導の研究にも片足
を突込み、いわゆる金属系超電導の研究に従事しました。窒化ニオブの薄
膜をつくってSQUIDというセンサーを開発する予定だったのですが、1986年
秋から酸化物超電導の話が出始め、1987年2月のイットリウム系超電導体の
発見により爆発的なブーム(超電導フィーバー)が起こりました。
JH1TVZが圧倒的に強かった時ですから、コンテストに参加してもまったく勝て
ず、仕事で徹夜続きの状態であったため、コンテストに力を入れることなどか
なわず、離れていってしまいました。
1997年に超電導からネットワークの部署に異動したのがきっかけではありま
せんが、またアマチュア無線がしたくなり、アンテナを補修してコンテスト参加を
再開しました。